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船戸結愛ちゃんのお母さんが共犯者なわけない

Updated: Sep 18, 2019


野田市の事件同様、父親による虐待で子供が殺害された、船戸結愛ちゃんの虐待死事件が、連日メディアで取り上げられています。

母親である優里さんの初公判が9月3日に開かれたためです。ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

(公判の様子は産経新聞が詳細に記しています: 

https://www.sankei.com/affairs/news/190903/afr1909030018-n1.html )


保護責任者遺棄致死罪に問われている、母親の優里さんの弁護人の言葉は、野田市虐待死事件の母親、なぎささんの弁護と非常に多くの共通点があります。

(以前ブログで、なぎささんの無罪を求める署名を立ち上げた事を書きました。: https://www.as-salon.com/blog/署名キャンペーンにご協力お願いします )


長年のDV被害により支配されていたこと。夫の虐待を制止しようとすると、暴行がエスカレートしたこと。子供をかばったり、食事を与えるなどすると責められ、怒られたことなど。

どちらの弁護人も長年のDV被害により、女性たちは抵抗できない状態にあったことを主張しています。

優里さんの場合は「太った女は醜い」という雄大被告の指示により、結愛ちゃんの食事を制限させられていただけでなく、自身も、雄大被告の前で食事が取れなくなり、隠れて過食、下剤を飲み嘔吐という事を繰り返す摂食障害の状態にあったそうです。結愛ちゃんが児相に一時保護された際には、自分も保護されたいと望んでいたと言います。

優里さんは一度は離婚を切り出してもいましたが、雄大被告に拒否されました。

さらなる暴力が怖くて抵抗することもできない。児相も守ってくれない。離れる事を許してもくれない。通報したら報復が怖い。

エスカレートしていく子供と自分への虐待の日々に「少しでも夫を怒らせないようにしよう」「結愛ちゃんが小学校に上がるまで我慢すれば・・・」と、耐え忍ぶことしか優里さんにはできませんでした。それでも、夫の目を盗んで結愛ちゃんに食べ物を与えたり、虐待を軽くしようと努力し、毎日添い寝して楽しい思い出話をして励ましていたそうです。

この母と子を、夫から引き離して守ってあげられなかった責任は、社会の側にあるのに。なぜ母親が責任を問われるのでしょうか。こんな社会では、SOSも出しようがありません。


家庭という閉鎖的な空間で、罵られ、怒られ、責められ、社会から孤立して、摂食障害に苦しんで、子供の凄惨な虐待死を目の当たりにしたその上に、逮捕・勾留・罪を問われる。


あまりの理不尽さに、言葉が見つかりません。虐待を行った雄大被告に対してだけでなく、この国の福祉に、そして司法に、正義を見出せません。

決定的に何かが間違っています。児相の機能不全や児童虐待法の議論は進みましたが、見落とされている決定的な欠陥があります。


それは刑事司法の判断基準です。

今回のような事件では、この母親が、「児童虐待を止められる状態にあったかどうか」を、「意思能力があったかどうか」という基準で判断します。

身体に心に暴力を受け続けた人間は、正常な判断など下せません。行動をコントロールする能力が低下している状態なのです。すなわち、意思能力はないと言えるのです。

にも関わらず、現在の刑事司法は「心神喪失・心身耗弱」でない限り、「意思能力が有った」という判断基準が用いられているため、野田市の事件で母親のなぎささんは、「虐待を止められる状態であったにも関わらず止めなかった」=「有罪」となってしまったのです。

世間一般でもいまだに「虐待を止めなかった母親も共犯である」という声は多く聞かれます。

そうした間違った認識を正すためには、まず司法の在り方を変えなければいけません。

それが、DV被害への理解促進にも繋がるはずです。そして、家庭内における暴力を未然に防ぐための対策を進めていけるはずです。



この大きな変革を求めるために、私は何ができるのか、どのような運動をすれのが効果的か、日々の活動の中でも考え続けています。

そして、この司法制度の変革を長く提唱し続けてきた精神科医の平井愼二医師のもとで、その理論を現在学んでいます。

8月末にも、また新たに、4歳の女児が虐待の末に殺害されました。


毎日毎日、こうしている今も、どこかの家庭で虐待が、DVが、起きている。


でも、一歩一歩やっていくしかないです。

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